モーツァルト

クラシック音楽に興味がない人でも知っている有名な音楽家モーツァルト。モーツァルトが作った音楽はリラックス効果が高く、胎教にも優れていると言われています。モーツァルトはクラシック音楽の3大巨匠の1人です。3大巨匠とはハイドン、ベートーヴェン、モーツァルトです。

モーツァルトの幼少期

モーツァルトはベートーヴェンの作風にも強い影響を与えています。同じ3大巨匠であるベートーヴェンにも影響を与えるモーツァルトとはいったいどんな人物だったのでしょうか?

モーツァルト(ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト)は1756年、オーストリアのザルツブルクに生まれました。父親はヴァイオリン奏者のレオポルト、母親はアンナ・マリアで、モーツァルトは7番目の子供です。生まれた日は聖人ヨハネの祝日でした。

ヴァイオリン奏者の父親レオポルトは、モーツァルトに音楽の優れた才能を見抜き、3歳から音楽の指導を始めます。モーツァルトは4歳にはチェンバロを弾きこなすようになり、5歳では初めての作曲「アンダンテ ハ長調K.1a」を作っています。

モーツァルトの天才的な音楽の才能を開花させるべく、父親レオポルトは6歳のモーツァルトと共にヨーロッパ各地を回ります。

6歳ではミュンヘンと音楽の都ウィーン。7〜10歳の間はパリとロンドン。11〜13歳では再度ウィーンを訪れ、オペラ「ラ・フィンタ・センプリーチェ」を上演しています。モーツァルトは神童として演奏を披露して、各地で絶賛をあびます。

モーツァルトの青年期

父親と共に音楽の旅行を繰り返していたモーツァルトは、1777年、21歳の時、パリへと向かいます。

モーツァルトはローマのシスティーナ礼拝堂でドメニコ・アレグリの9声部「ミゼレーレ」を聴いただけで楽譜に書きおこしたという逸話があります。

ですが、神童から大人になったモーツァルトは、パリでは成功を収めることはできませんでした。

モーツァルト

1778年、モーツァルト22歳の時に、母親のアンナ・マリアが亡くなります。また、アロイジアという女性に失恋もします。

1781年、25歳のモーツァルトはウィーンへに移り住みます。宮廷楽団として働いていましたが解雇され、フリーの音楽家として演奏会やオペラの作曲、楽譜の出版などしていました。特にモーツァルトはピアニストとして人気を得ていたようです。

また、ウィーンでの下宿屋ウェーバー一家の娘コンスタンツェと結婚もしています。コンスタンツェはモーツァルトが22歳の時に失恋をしたアロイジアの妹です。モーツァルトとコンスタンツェの間には6人の子供が生まれます。

この頃のモーツァルトはピアニストとしてだけではなく、作曲家としても高い人気を誇っていました。

29歳の時には、3大巨匠の1人であるハイドンからモーツァルトは絶賛を受けています。31歳の時には「フィガロの結婚」を作り出しています。

モーツァルトは音楽家として成功し、多くの収入を得ていましたが、ギャンブルにのめりこむようになります。借金を申し込む手紙など、周囲への借金の依頼も頻繁になってきます。

1791年、モーツァルトは作曲依頼されていた「レクイエム」の作曲中に体調を崩し、12月5日、35歳という若さで亡くなります。


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